バックナンバー(2014)
編集室から
野心憂を忘れ、山情笑を含まずばあらず ─文化の秋に─ (2014年10月30日)
爽やかな秋の空気の中、早くも木の葉も色づき始めたようです。
弊社でも来年初めにまた2冊、新刊を出すべく、その準備を進めているところです。今度はいずれも、パーラ朝(8〜12世紀)を中心とする後期インド仏教に関する内容です。この時代は、部派・大乗・密教の各種の仏教が出揃って、その「集大成」の動きが起こりました。それと同時に、ヒンドゥー化が進み、カースト制度が強化される中で、釈尊以来「人間の平等」を説き続けてきた仏教が、その「存在意義」を問われるようもなります。そして、インドで仏教が衰退していく中で、最後に、その伝統の「安住の地」をチベットに見出すことになる「激動の時代」でもありました。
そんな「危機の時代の仏教」を再認識することは、もしかしたら、現代を生きる上にも何かのヒントを与えてくれるかもしれません。どうぞ、お楽しみに。
さて、話は変わりますが、さすがに「文化の秋」、様々なイベントが行われていますね。そこで、今回はその中で心に残った二つについて、ご紹介してみたいと思います。
まず、「バロック・オペラ」については、以前、このコーナーでも書かせて頂きました(今年8月3日)。そして、そこで、バロック音楽の確立者モンテヴェルディ(1567〜1643)晩年の傑作「ポッペーアの戴冠」についても触れましたが、幸い、10月15日、東京オペラシティで行われた、その全曲演奏を聴くことができました(写真はそのビラです)。
古代ローマを舞台として、激しい「人間の情念」を描いた西洋音楽史でも屈指のオペラです。特に、今回、演奏したグループ「ラ・ヴェネクシアーナ」の演奏は、とても現代的で、抑揚に富み、心にストレートに入ってきます。若い頃から、この曲に親しんできた私も「えっ? こんな演奏ができたのか!!」と、大きな驚きを禁じ得ませんでした。詳しくはそのサイトにある通りですが、トップにある指揮者クラウディオ・カディーナの言葉、特に、
“私は歌手達に何よりもまず「役者」であれと言います。「音楽家」であることは、その次で良いのです。(中略)今回の公演では、日本の皆さまもまた私たち「魔術師」が織りなす魅力のとりこになることを期待しています。”
という一節は、その特色を遺憾なく物語っています。
古い時代の、クラシックでも決して「ポピュラー」とはいえない作品ですが、広いホールが一杯になり、最後には、一種「熱狂的」なまでの拍手が続いたことにも、大きな印象を受けました。やはり「耳の肥えた聴衆」は、いるところには、いるものなのですね。これは、かなり「専門的」な本を出している弊社にとっても、大きな励ましとなる光景でした。
ここで、ラ・ヴェネクシアーナの演奏による「ポッペーアの戴冠」の最後を飾る美しい二重唱をご紹介しておきましょう。先の演奏後にも「熱狂的な拍手」に応えて、アンコールで歌われたものです。
また、もう一つ、この秋の楽しい思い出になったのは、知人の小原蘭禅さんと本田虹風さんが指導する書道グループのギャラリー展「我が心の聖地」です。これは今月いっぱい「世界中の美味しいお茶が集まる、超マニアックなサロン」(案内状より)、その名も”Lasah"(ラサ)で開催されました。左の写真のように、モダンな空間に、瀟洒に額装された「一字書」を飾り、そこでマニアックに、様々な珍しいお茶を楽しもう、という趣向です。先生がいずれも女性だけあって、とてもおしゃれですね。古来、深い関係のある「書」と「茶」の、新たな可能性を開く試み、と拝見しました。
右の写真は、小原蘭禅さんと、その作品「茶」。会場の喫茶店のためにわざわざ書いて、差し上げたものだそうです。沈着な中にも力強い動きを秘めた筆意が見事で、料紙に散らした金と、額のメタリックな輝きがよく映えています。小原さんは、中国の書でも特に宋代の巨匠・米芾(1051〜1107頃)から入られたそうですが、米芾でも、例えば『群玉堂米帖』収録の「好事家帖」のような、「王羲之以前」のアルカイックな書風に範を取った、特に「奥行きの深い境地」を見事に捉えているようです。
また、左の写真は、本田虹風さんと、その作品「護」(頭上とその上左右の計三点)です。左上の作品は普通の行書ですが、他の二つは、全体を軽やかに「一筆」で書いたものです。こうした書風は、中国では「一筆書」といわれて、王献之(王羲之の息子)が得意とし、また米芾もその影響を受けた作品を残しています。ちょっとアラビア文字の「イスラム書道」さえ思わせる流麗さですが、お話してみたら、本田さんと小原さんは、それもやっているのだとか! びっくりですね(笑)。
全体として、小原さんが「王羲之」のような骨太の「古典的感性」なら、本田さんが「王献之」のような音楽的「ロココ的感性」、ともいえるでしょうか。まさに「対称の妙」です。
さらに、”Lasah” のご主人の、お茶はもとより、文化人類学、漢学、チベット仏教に及ぶ、幅広い造詣には、ただただ「脱帽」です。以下は、その言葉(大意)。
“「中国語」として日本仏教の祖師の著作を見た場合、空海と道元が圧巻だ。空海の『三教指帰』はまるで飛翔するようで、時に喜劇的でさえある。道元の『正法眼蔵』の緻密な論理の積み重ねは、他に比類がない。“
人生は苦労の連続です。でも、時に美しいもの、崇高なもの、そして、味わい深い「人」と出会うと、自ずから、心も和らぎ、なごみます。「真・善・美」は、まさに自ずから「四摂(ししょう)」(布施・愛語・利行・同事)の光を放つ「菩薩行の太陽」なのでしょう。
“禅定の余暇にインドの文字を学び、茶を点てては中国の書を鑑賞する。(中略)鬱屈した心や憂いはすっかり忘れてしまい、心は自ずから、ほがらかになる。”
…空海の言葉です(『性霊集』巻第四「梵字并に雑文を献ずる表」)。
弊社もまた、ラ・ヴェネクシアーナの「音楽」や、小原さん、本田さんの「書」、そして ”Lasah”の「お茶」に負けずに、こうした「四摂」の行を精進できればいいですね。
そう、心から「願って」います。
念仏と止観 ─印仏研での青原彰子先生の発表に寄せて─ (2014年9月1日)
早くも9月、ここ数日は東京も秋のような涼しさです。いずれまた、残暑が厳しくなるのでしょうが。
そんな中、8月末に東京の武蔵野大学で行われた印仏研(日本印度学仏教学会)の第65回学術大会に行ってきました。幸い、今回は近くでの開催で、インド・チベット仏教関係の弊社ともお付き合いのある先生方も多数、発表されるので、行ってみたのです。斬新で充実した発表の数々はもとより、知り合いの先生方にもご挨拶し、特に、執筆をお願いしている方には進捗状況もお尋ねするなど、有意義な一時を過ごすことができました。
今回はその発表の中でも、印象に残ったものの一つをご紹介してみましょう。このコーナーも、しばらく、直接「仏教」に関わる話題からは離れていたので、ちょうど良い機会かもしれませんね。
まず、その発表ですが、8月30日午前、第5部会で行われた青原彰子先生(広島大学大学院)の「『サクスムチェンモ』における修習の所縁」です(写真は大会のプログラムと、青原先生の配付資料)。青原先生とは、ネットで少し、やり取りしたことはありましたが、意識してお目にかかるのは、これが初めてかもしれません。今回の発表は、近世ゲルク派の学匠ジャムヤンシェーパが、禅定の階梯を中心に解説した著作から「修習の所縁」、つまり、瞑想の対象について触れた箇所を検討したものです。従って、一応、ゲルク派の顕教教学に関する発表といえるでしょう。
ただし、その意義は、実は、浄土教を念頭に置いて、始めて、本当に理解できるもののようです。青原先生もそれを意識されてのご発表のようでした。しかし、発表された部会はチベット仏教のかなり専門的な問題を扱うもので、聴き手もやや少なかったようですので、それがどれだけ伝わったか、やや心もとない所もあるかもしれません。しかし、こうした予備知識を踏まえて聴くと、とても大きな「学問的射程」を持つ発表であることがわかります。そこで、せっかくですから、その意義をより多くの方々に知って頂くために、ここでやや詳しく、取り上げてみることにします。
さて、ジャムヤンシェーパの議論の主旨は、「修習の所縁は、精神を集中できる対象なら何でも良い」とする対論者の意見に対して、「いや、そうではない。煩悩にはそれを退けるのに相応しい所縁があるし、無我を悟るには、またそれに相応しい所縁がある。さらに、本尊の身を所縁とするならば、資糧を完成して、容易に精神集中に入ることができる。所縁は、その目的に相応しいものを選ぶべきだ」として、四種の所縁を列挙するものです。
そして、最後の「本尊の身」を所縁とするケースは、密教の実践である上師瑜伽や本尊瑜伽とも結びつけられます。
ただ、ここで注目すべきことは、「本尊の身」を所縁とする修習は、密教のみならず、実は浄土教にも密接に関わっていることです。青原先生が、その修習を「念仏観」という言葉で表現されていたのも、そうした含みもあってのことなのでしょう。
インドにおける浄土教の痕跡は、文献にしても、美術作品などの考古学的資料にしても、残念ながら、必ずしも多くはありません(写真は、近年、浄土変相図との関連も指摘されているガンダーラの神変像。出典は、こちらです)。そうした中で、世親(ヴァスバンドゥ。旧訳では「天親」)の『浄土論』は、その正式名「無量寿経優波提舍願生偈」の通り、浄土教の根本経典『無量寿経』の意図を「優波提舍(ウパデーシャ=解明)」して、極楽往生を願う道を、本偈とそれへの自註によって述べた貴重な文献です。
漢訳のみで残るものですが、東アジアの浄土教には大きな影響を与えました。親鸞の名前も、著者の天親と、中国における註釈者の曇鸞から、それぞれ一字を取ったものです。近代の研究では、往年の碩学・山口益先生による『世親の浄土論』(法蔵館)、『大乗としての浄土』(理想社。大法輪閣から復刊)が代表的で、最近では、大竹晋先生の『元魏漢訳ヴァスバンドゥ釈経論群の研究』(大蔵出版)でも、新たな検討が加えられています。
『浄土論』の中心は「五念門」ですが、これは、「礼拝」「讃嘆」「作願」「観察」「迴向」という五つの行です。これは、チベット浄土教でいう極楽往生の四条件「浄土を観察する」「多くの善根を積む」「菩提心を発こして廻向する」「往生の誓願を立てる」とも良く似ていますが、いずれも『無量寿経』に基づくものですから、当然といえば当然ですね。この四条件は、先に弊社で刊行した『全訳 極楽誓願註』にも、註釈の方に出てきます。
さて、『浄土論』の自註では、その内の「作願」「観察」を、止観の実践とします。今、その部分を意訳してみましょう。
「作願とは何か。心に常に願いを起こして、一心に極楽浄土へ往生しようとすることである。如実に、奢摩他(シャマタ=止)を修行するために。
観察とは何か。智慧によって観察し、正しくかの〔浄土を〕観じることである。如実に、毘婆舍那(ヴィパシャナ=観)を修行するために。」
今回の発表のテーマは「修習の所縁」でしたが、その「修習」とは、配布資料にもあったように、この「止観」のことです。そして、インドにおける浄土教は、以上のように瑜伽行派では、止観の実践と結びつけられて、「大乗菩薩道」としてのあり方が明確化されました。
ジャムヤンシェーパは、はるか後世の人物ですが、インド大乗を直接に継承し、さらに組織的な整理を加えたチベット仏教の議論だけあって、こうしたインドの文献を解明するためにも、大きなヒントを与えてくれるようです。青原先生のご研究は、日本・チベット両仏教のルーツであるインド大乗、特に浄土教への、新たな視点を提示する可能性を秘めたものといえるでしょう。今後の、さらなる展開を期待したいと思います。
月宮(げっきゅう)の煌めきを、絵筆に ─桑原聖美さんの個展を見て─ (2014年8月5日)
連日の猛暑ですが、青空の下、緑の木々に蝉の声が爽やかです。こんな真夏の季節、東京では、暑さに負けず様々な文化的イベントも開催されているようですね。そこで、今回は、現在、開催中の桑原聖美(くわはらさとみ)さんの個展について書かせて頂きましょう。
前回のオペラに続き、直接には仏教に関係のない芸術系の話題が続きますが、ここは、あの書や詩文の達人でもあった空海の「真俗離れず」(『綜芸種智院式』)の言葉に免じて、なにとぞ、お許しのほど。
さて、先に日本画家の真条彩華(しんじょうあやか)さんの個展について書かせて頂きましたが(2014年5月20日)、彼女の絵がある美術雑誌に掲載されていました。今回の桑原さんの個展は、その雑誌の同じページで紹介されていたので知ったのです。「─ひかりかがやくもの─ 桑原聖美 日本画展」と題して、京橋のあらかわ画廊で8日まで開催されています(詳細は展覧会名をクリックして下さい)。
桑原さんの作品は、先にご紹介した真条さんの作品と同じく、絹本着彩の日本画です。ただ、これも真条さんの作品に似ているのですが、決して、いわゆる「日本画」という固定概念に収まるものではなく、それぞれの感性によって、独自の世界を創造しているのが特色です。これは、お二人とも画壇に属さず、自由に製作されていることによるところも大きいのでしょう。
上の写真は今回、出品された中では最大の作品(全図)で、軸装されています。画面だけでも、高さ70センチほどはあるでしょうか。月に坐って、扇を持つ、白いドレスの貴婦人を描いています。胸のブローチや月にちりばめられた緑の宝石は、月に因んだ名前を持つとのことでした。
柔らかな黄金の光に満たされた画面に、虚空に夢見るような女性の表情(左のアップ)、優雅なドレープ(襞)を描いて真珠色に輝く裳裾(下のアップ)が見事です。衣装は現代的ですが、あたかも、古代ギリシァ・ローマでアルテミスやセレーネー、あるいはディアナなどと言われたような「月の女神」を思わせる姿です。こちらは、18世紀フランスの大作曲家、ラモーのオペラ「イポリートとアリシー」幕開けのディアナの侍女たちの合唱(タイトルをクリックすると動画が見られます)。皆、月の髪飾りを付けていますね。
実は、会場にはもう一点、この絵と良く似た絵柄の作品が展示されています。同じく掛軸ですが、こちらは画面の高さが30センチほどの小品で、写真の作品の上部にある金箔を貼った部分が、こちらではゴシック式のアーチとなり、女性は月ではなく、通常の台座に坐って、表情もやや現実的なようです。画廊のご主人は「大きい方の作品もいいが、やはりこちらの小品の方がいい、とおっしゃる方も多いようです。リアルで、わかりやすいからでしょうか。大きい方の女性の表情は、観音さまのようですね」とおっしゃっていました。確かに、そうかもしれません。
大きい方の作品に描かれた人物は、美しい女性の姿でありながら、ほとんど「聖性」を湛えているかのような、崇高な印象があります。密教の女神(女尊)であるターラーを讃えた経典に『二十一尊ターラー礼讃経』がありますが、その漢訳に添えられた皇帝の讃(大正No.1108A)に
「月朗母は千星の如し、殊勝の威光は円満に遍ず」
(明らかな月の如き御方は、千の星のよう。めでたき光はあまねく満ちる)
とありますが、そんな雰囲気もあるようです。ターラーは観音の化身で、この経典もチベットでは、あたかも日本の『観音経(普門品)』のように、今も僧俗によって広く唱えられているものです。ですから、ご主人の感想ももっとも、といえそうです。
また、ご主人は、大きい方の作品の裳裾の表現(上のアップ)をほめていましたが、これは全く同感です。
桑原さんは、そのホームページの記述によると、「女神」をテーマに描いているそうです。そのProfile末尾の "女神の肖像" という詩は、真摯で美しく、味があります。
また、宝石のデザインもなさっているそうで、「宝石というと、贅沢とか装飾とかいうイメージもありますが、それだけではなく、本当は、そこには大自然の長い時間の中で育まれたいのちが込められています。そんな宝石の持つ精神性を〈ひかりかがやくもの〉というテーマに込めて、それぞれの絵にも反映させました」とおっしゃっていました。私が、「中世キリスト教美術でも祭壇などの荘厳に宝石を使うし、仏教経典の浄土の描写も宝石に満ちていますね」というと、わが意を得たりという感じで、とても喜んでくれました。
さらに、私が「桑原さんの絵は、どこか、狩野芳崖の悲母観音を思わせますね」というと、「それが一番、好きな絵です」と驚いていました。今回、写真を出した女性の絵も、その色調や雰囲気に、この「悲母観音」を思わせるところもあるようです。ただ、その一方で、扇を持つ女性の耽美ともいえる雰囲気は、例えば、先に東京で展示された19世紀・イギリスの「唯美主義」の代表作、アルバート・ムーアの「真夏」(クリックすると出てくるページの絵)も連想させます。しかし、桑原さんの作品は、ムーアにはない、澄んだ精神性の感覚が漂っているように見えます。それはやはり、これがただの美しい女性ではなく、“女神の肖像” だからなのでしょう。
真条さんの個展以来、現代の若手画家の作品にも目が向くようになりましたが、思いのほか、自由で、見応えのある作品があるようです。それぞれに、作者の「生きる姿」が現れているように見えるのも、興味深い点です。
私も、それらの作品に励まされつつ、出版の仕事に励みたいと思います。
人の世の夢 ─モンテヴェルディのオペラ・コンサート─ (2014年8月3日)
梅雨も明けて、早くも8月。連日の猛暑ですが、吹く風には時に爽やかさも感じられるようです。「風に一声(いっせい)の秋あり」(『和漢朗詠集』納涼)の気配は、もうそこまで来ているのかもしれません。
そんな真夏の季節ですが、心に残るコンサートがありましたので、ここに少し書かせて頂きましょう。
それは、8月1日、東京のサントリーホール・ブルーローズで行われた「モンテヴェルディ 愛の二態──オペラ篇」です。イタリアの初期バロック音楽の大家クラウディオ・モンテヴェルディ(1567〜1643 写真はWikipediaより)の晩年を代表する二大オペラ「ウリッセの帰還」と「ポッペアの戴冠」から名場面を抜粋して、上演しました。モンテヴェルディは、私が子供の頃から好きな作曲家ですので、以前、このコーナーでも名前を出したことがあります(2014年4月4日)。
彼のオペラでは、もう一つ「オルフェオ」も有名ですが(こちらをクリックすると、その抜粋が見られます)、こちらは壮年期の作。まさしくオペラの歴史の幕開けを飾るにふさわしい、清純さに満ちた名曲です。ただ、そこでは独唱と、時にバレエを伴う合唱が中心で、いかにもオペラらしいレシタティヴ(朗唱)による演劇的な対話は、まだ必ずしも完成していません。これに対して、今回演奏された晩年の二作品では、すっかりそれが完成し、ある時は叙情的な、そして、ある時には激しい情念に満ちた、人と人との「魂の火花」が散る舞台が展開していきます。
今回の上演(写真はそのポスター)では、それぞれのプロローグ(前口上)に始まって、代表的な場面、そして最後を飾る男女の二重唱が、礒山雅先生の解説を交えつつ、巧みにピックアップされていました。演技を交えた歌唱も、それぞれの役の性格を浮き彫りにして見事です。特に、神話的・寓意的人物によって、一種の「無常観」にも通じる人生観が語られる両者のプロローグ、また、「ポッペアの戴冠」のネローネ(櫻田亮)とポッペア(阿部雅子)の二重唱は、すばらしいものでした。また、伴奏の器楽では、西山まりえさんのバロック・ハープが古雅な味わいを加えていたことも、心に残ります。
そこでは、ギリシァ・ローマの神話や歴史にテーマを取りつつ、「ウリッセの帰還」では夫婦愛の誠、「ポッペアの戴冠」では権力欲と略奪愛という対照的な「愛の二態」が、いかにもバロックらしい生々しさで描かれます。ただ、そうした舞台に心を添わせていく内に、どこか、心洗われる想いもしてくるようです。それは、人の世の浮き沈みを舞台で目撃するうちに、私たち自身の「生」にもある同じようなことを、いつしか、手放していける安らぎなのかもしれません。当時、始まったばかりのオペラが範としたのは古代ギリシァ悲劇でしたが、それについてアリストテレスが論じた言葉でいえば、こうした体験は、まさしく、舞台を観ることによる「カタルシス(浄化)」ということになるのでしょう。
これは「ウリッセの帰還」ですが、その最初のプロローグでは、「人間のはかなさ」を象徴する女性が、順に現れる「時(男性)」「幸運(女性)」「愛(女性)」によって翻弄されていきます。仏教的にいえば、まさしく「生死海(しょうじかい)」の荒波の姿、ともいえるでしょうか。また、次は「ポッペアの戴冠」の最後を飾る二重唱「ただ、あなたを見、楽しみ」。これは、様々な邪魔者を除いた挙げ句に、暴君ネローネ(ネロ)と愛人ポッペアが結ばれるという、正直いって泥々としたストーリーのラストですが、このように曲自体はとても美しいものです。
コンサートの解説で礒山先生も触れていましたが、光と闇の強烈なコントラストをリアルに描き出すのが、バロック芸術の特色です。そして、今回は、二つの対照的「愛」を描き出したオペラによって、それがくっきりと浮き彫りにされました。
有為転変の定め無き人の世を、美しいものも醜いものも、ありのままに描き出す。そこにこそ、雅(みやび)な中にも、どこかに宗教的諦念をも秘めた「バロックの舞台」が生まれるのかもしれません。今回は、そうした「人の世の夢」を心深く味わった、幸福な真夏の夕べでした。
『正理の海』等の出版記念パーティ (2014年7月13日)
早くも今年も後半となりました。弊社も次の新刊の編集を進めているところです。秋の後半には、またご案内できるかと思いますので、どうぞお楽しみに。
さて、7月12日に、東京・本郷のレストランで、3月に弊社から刊行した『全訳 ツォンカパ 中論註「正理の海」』など3点の本の出版記念パーティが開かれました。主催はチベット仏教普及協会の有志。
弊社の本に加え、昨年度、同協会関係者によって刊行された『チベット仏教 高僧法話集』(同協会)、『ツォンカパのチベット密教』(大蔵出版)の3点の出版をお祝いするものです。前者については、このコーナーでも昨年10月15日にご紹介させて頂きました。また、後者については、著者の齋藤保高先生のサイト(書名のリンク先)に詳しいのですが、ツォンカパの密教分野における主著の一つ『真言道次第論』の全体を概観した上で、無上瑜伽タントラ(後期密教)の「生起次第」の部分を抄訳し、引用文献などの詳細な註記を付けた、画期的な出版です。
私もこの会とは設立以来、十数年のお付き合いがありますが、歳月を重ねる中で、だんだんとご縁も深まってきたようです。今回のパーティでは、地方や外国へ移ったりして、最近ではお目にかかれなくなった友人にも会えて、懐かしい思いがしました。設立以来のメンバーには、私と同世代の女性が多いのですが、こうやって集まると、みなおしゃれで、華やかなものです(笑)。彼女たちの明るい雰囲気が、この会の発展に無形の貢献をしてきたところも大きいのかもしれません。
チベットの歌あり、また映像ありの盛りだくさんの楽しい会で、あっという間に3時間が過ぎてしまいました。
さて、パーティでは関係者の挨拶もありました。その中から、今回の出版に関わった同協会の先生方のお話の大意を、ここでご紹介させて頂きましょう。
まず、齋藤先生(同協会事務局長)。
「この会が始まってからの十数年は、かつてチベット本土で修行した高僧方がたくさん来られたが、これはある意味で「特別な時期」だったともいえる。それらの高僧方はもう高齢なので、今後は、こうした機会に出会うのは難しいだろう。思えば、20年ほど前に『実践・チベット仏教入門』(春秋社)の「あとがき」で書いたことは、この協会の設立でかなりの部分が実現できた。」
「『ツォンカパのチベット密教』の執筆で一番大変だったのは、ツォンカパが引用するインド撰述文献の出典を調べること。これは、最初はうまく行かなかったが、ツォンカパへの「善友(善知識)」としての親しみを深めるにつれて、だんだんと「ああ、彼だったら、きっとここを引用するだろう」と見当を付けるのが容易になってきた。これは、今後、皆さんがチベット仏教文献を読む時にも役立つ経験だと思う。」
…仏教と共に、西洋の思想や宗教にも関心を持つ私としては、前の言葉からは15世紀に東ローマ帝国が滅亡した時、そこからギリシァ人の学者が西ヨーロッパに来て、ルネッサンスに大きな貢献をしたこと、後の言葉からは、いわゆる「解釈学的循環」を思い起こします。いずれも、西洋における「古典解釈」をめぐる長い歴史に関わることですから、こうした連想も「当たらずといえども、遠からず」なのかもしれません。
また、『正理の海』の訳者の一人であるクンチョック・シタル先生(同協会副会長)。
「こうした古典の翻訳は、以前なら国の助成金を得て、大学などで刊行するものだった。それが、今回は全く民間の力で実現したのは、ひとえに、出版社を含む関係者の努力によるものである。日本では、激しい近代化の歴史の中で、仏教がその本来の立場を打ち出すことが難しくなった。日本はアジアで最初に西洋に並ぶ物質的発展を実現し、今、その行き詰まりを感じつつある。一方、チベットには、まだ「ぶれずに」命を懸けて仏教を生きている高僧方がいる。その仏教を、優れた能力を持つ日本の人々に伝えることは、大きな意義がある。私も60歳を超えた。残りの人生では、英語からの重訳などではなく、純粋にチベットの原典からの翻訳を、日本に届けていきたい。」
「仏教ではよく「一切衆生のため」というが、これは身近にいえば「祖国のため」ということでもある。仏教を紹介することは、日本にとっても役立つはずだ。どうか、そのつもりで、皆さんもがんばってほしい。」
…苦難の亡命の末、インドでのチベット人社会再建の歴史を目の当たりにして来られた経験から出た言葉として、これは非常に重いものがあります。
両先生の言葉は、弊社にとっても、まさに行くべき方向を示したものといえるでしょう。人類の精神文化全体に開かれた広い視野を保ちつつ、その言葉をかみしめて、弊社も微力ながら、さらなる一歩を進めたいと思います。
パーティの準備をして下さった方々も、お疲れさまでした。
筆線に託す「いのち」 ─真条彩華さんの個展を見て─ (2014年5月20日)
5月も下旬、さわやかな初夏といいたいところですが、やや暑さが急に来た印象もあります。体が、なかなか付いていけないこともあるかもしれません。皆さまも、くれぐれもお気をつけ下さい。
弊社にも次の本の原稿が来はじめました。引き続き、インド・チベット仏教の斬新で魅力的な研究の出版に努力したいと思います。今後とも、何とぞご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
さて、そんな中ですが、縁あって、気鋭の女流日本画家・真条彩華(しんじょうあやか)さんの個展「御伽噺」を拝見しました。東京有数のアート・ストリート、京橋にあるギャラリー椿(中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F)で、5月24日まで開催されています。
真条さんの作品は、昨年、ある共同展で初めて見ましたが、その時に記帳しておいたら、今回の個展の案内が来たのです。その時には、いずれかといえば「幻想」「耽美」といった雰囲気が濃い作品が並んでいましたが、今回の案内に掲載された作品を見て、驚きました。右の写真の「鬼百合と蜜蜂」です。色彩なしの繊細・流麗な筆線で描かれた艶やかな女性像に、何か、とても新鮮なものを感じます。
写真は制作段階での部分のアップですが、全体の写真よりも、かえってその筆線の美しさが端的に示されているようですので、こちらを掲載しました。現代的な表情の中にも、どこか仏画や、その源流のインド古典絵画(アジャンター石窟の壁画や、パーラ朝やカシュミール系の密教絵画など)に現れる女性の姿を思わせる雰囲気があります。真条さんによれば、これは蜜蜂が語りかける「声」に、耳を傾けている様子とのこと。画題からすると、この女性は、たぶん鬼百合の「精」なのでしょう。
(なお、ここで掲載させて頂く真条さんの作品の写真は、ご本人の許可を得て、そのホームページとブログから転載させて頂きました。)
今回の個展に並んだ作品の内、ほぼ半分ほどが、こうした紙本水墨の作品です。これまで真条さんは、主に絹本着彩で制作されてきましたが、2年前のギャラリー椿での個展以来、こうした水墨の作品に力を入れるようになったそうです。
その時に展示された、真条さんの「転機」を象徴するかのような作品が、左の写真の「時の輪」です。作者によると、このタイトルは「輪廻」を象徴したものとのこと。サンスクリットにすると、まさしく、かの有名な後期密教聖典の名前「カーラチャクラ」になりますが、そのことは意識しないで付けられたタイトルです。中心に、威厳と美しさに満ちた瞑想する女性が描かれています。個人的な印象では、この女性の姿から、輪廻する全ての「いのち」と、その真実を見通す大いなる「智慧」を感じました。いわば、密教でいう仏眼仏母(ぶつげんぶつも 本ページ、2013年6月10日の記事参照)のようなイメージです。
その印象の当否は別としても、ほぼ1メートル四方の大きな画面を、シンプルな構図で、しかも水墨だけでまとめ上げた技量は非凡です。
そして、今回の個展で、この作品の流れを汲むのが、右の写真の「星月夜の祭典」なのかもしれません。水墨で、正面性の強い仏画的な構図を描いた点も似ています。
真条さんによれば、これはお盆の「迎え火」「送り火」の思い出から来たもので、その炎や「うしろに霊がいる?」といった、ちょっとした怖さ、不思議さの感覚も入っているとのことでした。女性の体の周りに咲く菊も、仏壇の花をイメージしたもので、一方、頭部左右に咲く百合は、かつて良く描いていた「女性の強さ」を象徴する「鬼女」の角に代わるものだそうです。流れるような筆線と、背後の墨と金のコントラストが見事で、作者が語るような、不思議で、畏怖もあり、そして歓びに満たされた「真夏の夜の夢」が見事に表現されています。
さて、真条さんのこうした作品は、確かに水墨による面的なぼかしの効果も使っているのですが、それと共に、優れた筆線による的確な描写が光っています。特に、今回の個展に出た「鬼百合と蜜蜂」「星月夜の祭典」では、それが顕著です。その効果は、ほとんど「白描画(はくびょうが)」、つまり、筆線のみで描いた中国や日本の古典画法に近いものです。
絵画において「色彩」は最も感覚的な効果です。そして、「水墨」も色彩によらずに、それに匹敵する(もしくは、それを超える)効果を上げようとするものですが、なお、感覚性は残しています。しかし、「筆線」は、制作に強い精神の集中と技量が必要とされ、また「色彩」や「水墨」では可能な「即興」の余地が極めて限られる点において、ある意味では「最も禁欲的な画法」といえるのかもしれません。少なくとも、東アジア絵画の源流である中国では、そうした「高貴な画法」として、北宋の李公麟を始めとする文人たちが手掛けてきた伝統があります。また、日本では、密教の「法」を伝える白描図像として、極めて宗教的な環境の中で育まれてきました。
真条さんの作品は、そうした「白描」の精神性に迫りつつ、しかも、艶やかな女性の姿(作者は、それを「エロス」とも表現します)によって、移り行く「いのち」の華やぎを描きだしています。
これは、本当に、新しい世界だと思います。
ここでは、真条さんの作品の「新傾向」としての水墨(もしくは白描)を中心に触れましたが、今回の個展では、これまで中心にしてきた絹本着彩の作品も展示されています。
左の写真は、その中から「鬼ごっこ」。作者によると、この作品は、幼い頃には色々なことから、何かの気配を感じ、何かを聞きとることができた思い出から生まれたものだそうです。ここでも夕景を思わせる色彩と共に、やはり風に流れるような線の美しさが際立っていますね。
真条さんの作品は、最初に触れたように、これまでは「幻想」「耽美」というコンセプトで理解される作品が多かったようですが、今回は、それに加えて、より「透明で、優しく、精神性に満ちた」世界が開かれてきたようです。そのための新しい技法としての水墨にも、磨きがかかってきました。
今後の展開を、楽しみに待ちたいと思います。
大悲と浄土 ─『降三世大儀軌王』と『極楽誓願註』に寄せて─ (2014年5月5日)
そろそろ、緑瑞々しい初夏ですね。そんな中を先週、執筆者の先生方へのご挨拶と打ち合わせに、関西へ行ってきました。京都・西本願寺前の龍谷ミュージアムで開催中の「チベットの仏教世界 ─もうひとつの大谷探検隊─」(〜6月8日)を見るのも目的です。
展覧会の方は、20世紀初めにチベットに入った青木文教、多田等観の両師に焦点を当てたもので、チベットで二人を迎え入れたダライ・ラマ13世に関する遺品がたくさん並んでいるのが特色です。また、弊社もお世話になっている北村太道先生(種智院大学名誉教授)のチベット美術コレクションが多数展示されているのも見所。質的には、これまで日本で開催されたチベット関係の展覧会でも屈指のもので、チベット好きの方々には、ぜひ一見をお勧めします。
さて、3月末に刊行した弊社の新刊には、その北村先生のご本も含まれています。タントラ仏教研究会との共訳による『全訳 降三世大儀軌王/同 ムディタコーシャ註釈』です。ここで、本書の内容について少し触れておきましょう。
まず、『降三世大儀軌王』は『初会金剛頂経』「降三世品」の釈タントラとされるだけあって、その「根本タントラ」は、やはり「降三世品」と同じく金剛手菩薩(金剛薩埵)が忿怒の姿を取った降三世明王によるヒンドゥー教の神々の調伏(=教化)の話から始まります。ただ、それに続く構成は「降三世品」とはやや異なって仏・菩薩などの十種儀軌が説かれ、さらに、教化されてマンダラに入った神々の諸儀軌が説かれていきます。こうした構成は、既に指摘されているように、むしろ『理趣経』に似ています。
そして「後タントラ」では「根本タントラ」の要義をまとめ、その説明を補っていますが、そこでの実践で重点が置かれているのは「根本タントラ」の金剛手儀軌に説かれる「大金剛輪マンダラ」です(写真は、その中尊の一面四臂金剛手(金剛薩埵)。また、本書の口絵にはマンダラのカラー写真が出ています)。これが、事実上、『降三世大儀軌王』を代表するマンダラといえるのかもしれません。このマンダラも、実は『理趣経』系十七尊マンダラ(日本では金剛界九会マンダラの「理趣会」として知られています)の一種です。
さらに、『降三世大儀軌王』では「貪染(ラーガ)」「妙適(スラタ)」「大楽(マハースカ)」といった言葉が重要な意味を持ちますが、これも『理趣経』と共通しています。それらの内、少なくとも前の2つは本来「愛欲」とも重なるニュアンスを持ちますが、ムディタコーシャの註釈に「欲とは菩提心」(本書p.167, 177)と説かれるように、その意図するところは、大悲による衆生済度の誓願、そして、その実践の歓びの「強さ」を、こうした言葉によって象徴したものと見るべきでしょう。この点も、不空の『理趣経』註釈である『理趣釈』の「十七清浄句」解釈と軌を一にしています。そして、こうした点に、『金剛頂経』系密教ではまだ理念的なものに留まっているとはいえ、後期密教の先駆的要素を見ることもできるでしょう。
そして、こうした『降三世大儀軌王』の精神を象徴するのが、写真の一面四臂金剛手(金剛薩埵)です。これは写真のように、通常の金剛杵と金剛鈴を持つ金剛薩埵に、弓矢を持つ二臂を加えた姿です。この弓矢の意味について、ムディタコーシャの註釈では「般若と方便」としますが、「愛欲の本尊の持物」「欲の自性を示すもの」とする他説にも言及します(本書pp.150-151)。
インド世界一般からいえば、まずヒンドゥー教における愛神カーマは弓矢を持ちます。この弓はギリシャ神話のエロス(キューピッド)と同じく、「心に愛の炎をかき立てる」矢を放つものです。また、仏教における密教の金剛愛菩薩、愛染明王、クルックラーなども弓矢を持ちます。これも、先のようなインド世界における伝統的イメージと無関係ではないはずです。ただし、仏教における意味としては、そこにかき立てる愛は、同じ「愛」でも「大悲」、すなわち、自他の分け隔てなく、一切衆生を救おうとする仏・菩薩の誓願、菩提心ということになるのでしょう。
(上の写真は、西チベット・グゲ地方のフィヤン寺院遺跡から出土したブロンズ像。出典は四川大学中国蔵学研究所他編『皮央・東嘎遺址考古報告』四川出版集団・四川人民出版社、2008年、彩図47-1)
ところで、こうした仏の「大悲」をよりどころとするのが、浄土教です。つまり、阿弥陀如来の誓願に乗じて極楽往生し、そこから世間への利他を自在になそうとする、大乗菩薩道の一つのあり方です。これは、日本人にとっては、とても親しみ深い仏教世界ですね。
そして、こうした教えは、同じ大乗仏教が広まったチベットにも、もちろん、あります。3月末に同時刊行した中沢中先生『全訳 極楽誓願註』(写真)は、その代表的文献の一つであるカルマ・チャクメ(17世紀、ニンマ派・カギュー派)の『極楽誓願』を、ソナム・チュードゥプ(19-20世紀、ニンマ派)の詳細な註釈と共に全訳したものです。『極楽誓願』自体は、極楽往生への誓願と、そのための行法を述べた偈頌ですが、それを註釈では、豊かな説話を織り込んで、生き生きと語りかけています。
こうした多くの説話を交えたスタイルは、いわゆる「リメー(超宗派)」運動を通して近世チベット仏教を活気づけたパトゥル・リンポチェの名著『クンサンラメ・シェルン(普賢師の口伝)』と共通しています。ソナム・チュードゥプ註も、パトゥル・リンポチェによる『極楽誓願』講義の伝統を受けたものと考えられます。
これまで、日本における「チベット仏教文献」の翻訳・研究というと、いずれかといえば、僧院で高度に発展した顕教的な学問か、もしくは密教的な分野に、やや重きが置かれていた印象もあるようです。
しかし、ソナム・チュードゥプ註は、広く庶民に語りかけた内容で、その言葉の端々に、かつてのチベットにおける「ものの感じ方」が、宗教・世俗を問わずに、率直に表現されています。そこには、現代日本に生きる私たちにも親しみ深く感じられるものもあれば、必ずしも、そうではないものもあるかもしれません。しかし、いずれにしても、かつてのチベットの僧俗の心情を知る上での、貴重な資料です。
また、その終わり近くには「五濁悪世」に関連して、チベットの未来を警告する予言も引用されます(pp.190-191)。そうした中で、世間一切を空、幻の如きものと見て、それへの愛着を離れるように説く言葉には、切迫感があります(pp.195-196)。自ら往生した後には縁ある人々を利益するべきこと(p.201)、仏名を念ずることの功徳(p.211)などの説示は、日本の浄土教にも親しみ深い事柄でしょう。
そして、最後に「この浄土成就法に努める者である限り、みな極楽に生まれないなら正覚者が欺き、我々も欺いたのである」とパトゥル・リンポチェ師弟が何度も説かれた…とする箇所(p.218)は、ほとんど、親鸞の「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」(『歎異抄』第2条)を思わせる響きさえ、あるようです。
このように、細部の表現はともかくとして、全体の「骨格」においては、ソナム・チュードゥプ註が説くところは、日本の浄土教にも、とても親しいものがあります。その註釈のもとになるカルマ・チャクメの偈頌を、かの青木文教が既に和訳していたのも頷けます。このように、本書の内容は、日本とチベットの交流においても、歴史的に、とても大きな意味を持つものです。それが、先の龍谷ミュージアムの展覧会とほぼ同時に刊行されたのも、不思議なことですね。
なお、本書のカバーや扉に入れた写真は、北村太道先生ご所蔵の極楽浄土を描いたタンカ(仏画)の中央、阿弥陀三尊の部分です。これも龍谷ミュージアムの展覧会の後期(5月13日〜)に展示されます。上の写真は、訳者による本書の「解説」(p.289)に掲載された全体図(上)と部分図(下)。本文に詳しいように、部分図には法身の阿弥陀から生じた報身の観音、化身のバドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)が描かれていますが、これはテルマ(埋蔵聖典)のグル・リンポチェ伝『サンリンマ』と良く合う図像です。ただ、上部にはカギュー派の祖師たちが描かれているので、カルマ・チャクメと同じく、ニンマ・カギュー両派を兼修する環境で描かれたものなのでしょう。
この解説も「縁起」から見た浄土の解明と、チベット浄土教とニンマ派の研究において、資料の検討を踏まえつつ、新鮮で有益な議論を展開しています。こちらも、ご覧頂ければ幸いです。
「雪国の天使的博士」 ─『正理の海』出版の、ダライ・ラマ法王とチャト・リンポチェへの ご報告に寄せて─ (2014年4月20日)
桜も終わり、瑞々しい若葉の季節となりました。
ただ、寒暖の差はかなり激しく、私も少し風邪気味です。皆さまも、くれぐれも体調にはお気をつけ下さい。
さて、3月末刊行の新刊3点も、書店・取次から追加注文が入り始めるなど、おかげさまで、まずまずの滑り出しのようです。
そうした中で、『正理の海』訳者の一人であるクンチョック・シタル先生が、18日にはダライ・ラマ法王、19日には、高野山大学での法王の胎蔵マンダラ灌頂を補佐されたチャド・リンポチェに、本書の出版をご報告して下さりました。
後者の機会には、共訳者の奥山裕さんも同席されましたが、写真は、その時に本書を手に取られたリンポチェ。以前にも触れたように(2013年5月13日)、柔らかな表情がすてきですね。
4月17日、東京のチベット仏教普及協会で行われたチャド・リンポチェの説法は私も拝聴しましたが、最初に「私は、チベット仏教が日本に何か新しいものをもたらすとは考えていません。そうではなくて、日本にある仏教の伝統を、一緒に再認識するために役立てればと思っています。空海の『十住心論』はラムリムによく似ていて、こうした立派な伝統が既にあるのですから」という趣旨のことをおっしゃっていました。リンポチェは、同じ趣旨のことを、18-19日に続けて行われたヤマーンタカ十三尊の大灌頂(ゲルク派密教で最重要とされる灌頂の一つ)の最後にもおっしゃっています。そして、これまでの見聞からすると、ダライ・ラマ法王も同じお考えのようです。
『十住心論』に言及されるあたり、数度の高野山訪問で、チャド・リンポチェにも、だんだんと深い真言密教の情報が伝えられているのでしょう。そうした中で、弊社も、日本に未訳のインド・チベットの仏典を刊行することによって、日本・チベット両仏教の交流のお役に立てれば、とても嬉しいことです。現在、リンポチェはゲルク派密教の大本山ギュトゥー寺の副僧院長の要職を務められています。法王の信任篤い、親日家のリンポチェが、これからどのようなご縁を結んで下さるのか、とても楽しみですね。
なお、ここで、『正理の海』の内容についても、簡単に触れておきましょう。本書を読もうと思われている方々の、何かのお役に立つかもしれませんから。
まず本書は、著者ツォンカパ(写真はチベット仏教普及協会にある御影)が重視したチャンドラキールティの中論註『プラサンナパダー』をベースにしていることは、言うまでもありません。ただ、それだけでなく、ブッダパーリタ註、バーヴィヴェーカ註などのインド諸註も幅広く参照し、さらに、大切な箇所にはツォンカパ自身の詳しい考察も加えています。また、その詳細な科文(段落分け)も、『中論』の構成についての一つの優れた解釈として、大いに参考になるはずです。さらに、各章註釈の最後にはその章のポイント(それには、修行への応用についての実践的なアドバイスも含まれます)と、その章の経典解釈への応用例が示されています。まさに至れり尽くせりで、禅的な意味での「老婆心(=弟子への思いやり)」に満ちた内容と言えるでしょう。
ただ、本書の特色として注目されるのは、『中論』の議論を多くの論理学的表現を使って分析し、明確化していることです。もちろん、それはバーヴィヴェーカ註に見られるような「三支作法」を用いた自立論証ではなく、基本的に、対論者の議論の矛盾をつく帰謬論証ですが、それにしても、論理学的表現の多用は、チャンドラキールティに比べても目立っているようです。
「空」に基づきながらも、こうした「論理」が持つ可能性も自在に活用するのが、ツォンカパの大きな特色です。そして、このことは本書の序論(弊社全訳p.13)で「名称として単に仮説しただけの言説という意味においては〔否定・論証の〕作用・作者すべてが認められる」(〔 〕内は引用者補足)と指摘されるように、ナーガールジュナとも矛盾しないというのが、ツォンカパの理解です。
ツォンカパはあくまで帰謬論証派の範囲に留まりながらも、「言語」による考察の可能性を、最大限に引き出そうとした…と言えるのかもしれません。
それとの比較で興味深いのが、中世カトリック神学の完成者であるトマス・アクィナス(1225頃-1274 写真はイタリア・ルネッサンスの画家ゴッツォリ作)です。
ヘブライズムとヘレニズムの「出会い」のもとに生まれたキリスト教神学には、神の性質について「〜である」と肯定的表現をする「肯定の道」と、その超越性を表現するために「〜でない」という否定を重ねる「否定の道」の伝統がありました。そして、トマスは、両者を踏まえて、「神の性質は、被造物における同種の性質との共通性はあるが、ただ、それを遙かに超えた完全性を持つ」という「卓越の道」を説きます。いわゆる「アナロジア(類比)」です(こちらに、面白い解説があります)。これは、中観で言えば、自立論証派で言語化された「空」を「異門勝義」と表現する時の「異門(=別名)」と、もしかしたら、近いニュアンスなのかもしれません。
「スコラ哲学」と言われるように、トマスの学問が中世の大学を基盤とする点も、インド・チベットの学問寺の伝統を背景とするツォンカパと似ています。実際、往年のチベット学の大家ジュゼッペ・トゥッチ(トマスと同じイタリア出身です)は、ツォンカパの『菩提道次第大論(ラムリム・チェンモ)』を、トマスの『神学大全(スンマ・テオロジカ)』と比較しています(『チベット仏教探検誌』平川出版社、p.203)。そうした似た環境の中で、超越的な真理を指示するための「言語の可能性」が探求されたのも、仏教的に言えば、後に続く人々を導くための「善巧方便(巧みな手立て)」だったのでしょう。
後に、トマスをカトリックの「聖人」に列するための審議が行われた時、その認定に必要な「奇跡」を、彼は何か行ったのか? ということが議論になったそうです。その時、ローマ教皇が「彼の考察によって解決された問題の数々こそが、奇跡だ」と言ったとか(詳しくは、こちらをご覧下さい)。結局、トマスは「聖人」「教会博士」として崇められ、その偉業を讃えて「天使的博士(ドクトル・アンジェリクス)」と呼ばれるようになりました。
それになぞらえて言えば、「仏法を明晰に解明したツォンカパの著作こそが、菩薩の偉大な利他行だ」ということになるのでしょう。
一見、クールな「学者」のようでいながら、実は、いずれも内面は熱い心の修行者で、また詩人でもあった点も似ています。(トマスが優れた聖歌作者であった点は、先と同じくこちらに触れられています。また、彼の祈り「神よ、私を忘れないで下さい」は、チベットでは懺悔の真言として名高い「金剛埵薩の百字真言」(もとは『初会金剛頂経』に由来するもの)の文意とそっくりです。そして、ツォンカパが優れた宗教詩人であったことは、弊社『正理の海』の巻末に収録された、西村香さんなどの訳による『縁起讃』と、それに触れたクンチョック・シタル先生の解説(「はじめに」p.xii)を見れば明らかでしょう。)
…大冊で、いささか骨の折れた『正理の海』の編集でしたが、それを終えた今、著者ツォンカパを「雪国(=チベット)の天使的博士」と讃えてみたい気持ちで一杯です。
愛と、死と ─ロセッティの絵画と、インヴェルニッツィの歌声─ (2014年4月4日)
桜も満開。ようやく、このコーナーでもお約束していた新刊3点も出し終えて、ほっと一息です。
本当は、さっそく、その新刊についてお話するべきなのでしょうが、決算と重なっての校了には、さすがに、疲れました(笑)。そこで、今回は「小休止」、少し趣味的なことを書かせて頂きましょう。といっても、このコーナー、普段から結構、趣味的な話題が多いのかもしれませんね(笑)。ともかく、今回の新刊も、インド・チベット仏教のそれぞれの分野における「最重要文献」であることは、見る人が見れば一目瞭然かと思います。
さて、明後日(6日)には最終日となる展覧会ですが、1月末から、東京・六本木ヒルズ52階の森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」が開催されています。これは、19世紀のイギリスで、当時、画壇の主流だった盛期ルネッサンスを至上視するアカデミズムに反発し、それ以前(つまり、ラファエロ以前)への回帰をモットーに、自然に忠実な描写と、詩情豊かなテーマ設定、そして、場合によっては産業革命の時代における社会批判をも交えた、新しい芸術を探求する運動です。
中でも、その主導的役割を果たしたのが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ。政治運動によりイタリアを追われたダンテ研究家を父とし、それにふさわしく「ダンテ」を含む名を持ちます。今回の展覧会でも、最も多くの作品が展示されている画家ですが、初期の清純な聖書物語から、夢幻的な中世ロマンスへの沈潜を経て、晩年の官能と絶望が交叉したような、独自の深淵的世界への展開には、実に興味深いものがあります。そこに現れる女性たちのモデルも、妹のクリスティーナから、阿片中毒による悲劇的な死を遂げた妻のエリザベス・シダル、そして「苦に満ちた」愛の対象ジェイン・モリスなどへと推移します。
写真は、彼が、若くして世を去ったシダルを偲びつつ、彼女をダンテの「永遠の恋人」ベアトリーチェとして描いた「ベアタ・ベアトリクス(祝福されたベアトリーチェ)」。手許の赤い鳥が加える芥子の花は、シダルに訪れた死の象徴ともいわれます。背後の夕映えの如き「光」のもとには、フィレンツェのアルノ川の風景と、ダンテと「愛」を象徴する女性が「幻のように」浮かび上がっています。
文字通り、ロセッティの代表作ですが、彼の生涯の中での位置付けについては、様々な評価が可能な複雑な作品でもあるようです。ただ、私個人としては、虚ろな華麗さに満ちたロセッティ後半生の作品群にあっては、やはり真心を感じさせる作品で、タイトル通り「至福」「救い」といったこと(ただし、それは「死」のイメージとも密接に結びついています)を描き出そうとしたものと受け取って良いのではないか、と感じました。この展覧会の全作品の中でも、最も心に残った作品です。…結局、この展覧会には、4回も足を運んでしまいました(笑)。
そんな感動に励まされながらの新刊の追い込みでしたが、もう一つ、私を力づけてくれたのが、イタリアのソプラノ、ロベルタ・インヴェルニッツィ(写真。出典はこちら)の歌声です。バロック音楽を中心に活躍し、中でも後期バロックのヘンデルのオペラの演奏は有名なようです。ただ、私はテオルボ(低音も含めた、幅広い音域の出る大型のリュート)1本の伴奏で歌った初期バロック歌曲の演奏で知りました。
初期バロック歌曲については、いずれかといえば、淡々とした演奏を多く聞いてきましたので(それには、一頃流行したノン・ヴィブラート唱法の影響もあるのかもしれません)、インヴェルニッツィのほとんど「官能的」かつ「情念的」とさえいえる歌声には、深い衝撃を受けたものです。
いくつか、その演奏を紹介しますと、まずカッチーニの「昼も夜も涙し」は、イタリアの初期バロックを代表する名曲ですが、極めて技巧的で、また内面的な感情表現に溢れた作品です。その豊かなメリスマ(声を揺らすような歌い方)は、モンティヴェルデイのオペラ「オルフェオ」にもあるように、当時しばしば「聞かせ所」で用いられたものですが、どこか、イスラームやビザンティンなどの東方的な感じも漂います。ダンテにやや遅れるイタリアの詩人、ペトラルカのソネットに曲を付けたものですから、ロセッティ鑑賞のBGMには、びったりかもしれません。動画にある絵も、どうやらラファエル前派と同時代のイギリスの絵のようで、ヴェネツィアを舞台としています。
また、ヴィヴァルディの「松明と蛇で武装して」は、古代ユダヤ史をテーマとしたオラトリオ「勝利のユディート」の終わり近くを飾るものです。いかにも後期バロックらしい華麗でドラマチックな響きですね。ユダヤの女傑ユディートに、自らの主人を討ち取られた敵国の家臣の怒りを表現しています。インヴェルニッツィの技量が遺憾なく発揮された、見事な演奏です。
ロセッティもインヴェルニッツィも、イタリア系。さすがに、いずれもめくるめくような「愛と死」の表現です。
その絵と歌に出会いながらの、3点で最後に残った大冊、ツォンカパ『中論』註の編集でした。彩なす情念の世界に身をゆだねつつ、本書の「正理」によって、その本質を問う。…それもまた、心地よい思索の一時、であったのかもしれません。
苦難の時代と、摩寿意善郎先生の『サンドロ・ボッティチェルリ』 (2014年1月30日)
つい先日、新しい年を迎えたと思ったら、もう1月も終わり。今朝、4Fの事務所から見える公園の冬枯れの木立には、どうやらウグイスらしい小鳥がちょん、ちょん、と飛んでいました。確かに、あれはウグイスです! その色、形からも。…早いものですね。
さて、以前からお知らせしている弊社の新刊3点も、着々と準備を整えています。昨日も、印刷所に行って、印刷・製本のスケジュールの打ち合わせをしてきました。ただ、なお僅かに、詰めるべき点も残されていますので、その正式な告知は、今しばらくお待ち下さい。いずれにせよ、近い内に、このサイトでもお伝えさせて頂きます。
今回は、その印刷所に行ったついでに、近くの東京・神保町の古書店で手に入れた、ある古い、美術書についてお話させて頂きましょう。それは、摩寿意善郎先生の『サンドロ・ボッティチェルリ』(アトリエ社、昭和17年)。B4判上製、箱入の大冊です(右の写真)。
摩寿意先生については、東西の宗教芸術について関心を持つ私も「往年の西洋古典美術研究の大家」として、そのお名前だけは、ずっと前から存じ上げていました。もちろん、本書のテーマであるイタリア・ルネッサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェルリについても。
…でも、本書との「出会い」は、なかなか印象的でした。
神保町の古書店歩きは、実に私が子供の頃からの「趣味」(笑)。それにしても、昨年以来、それも次の新刊編集の多忙さにまぎれて、なかなか、じっくりとは実現できないでいました。しかし、昨日、印刷所での打ち合わせを終えて、ようやく仕事にも「一区切り」できた安心感から、つい、ふらっと、馴染みの街をゆっくりと歩いてしまったのです。
そうしたら、目抜き通りの、ある美術書に力を入れている店。それも店内ではなく路頭に出された古書の中に、これがありました。定価3,000円。
ボッティチェルリといえば、いわずと知れた大巨匠。図版を通して幼い頃から親しんできた私も、その作品の多くは、ほとんど「脳内画像」として(笑)、その色・形共に、再生できます。あたかも、インド後期密教の「生起次第」のように。
それに、本書は昭和初期の出版。たぶん、本文から得られる「情報」も、多くが既知のことでしょうし、図版も大半が古びたモノクロです。正直いって、本書も「あえて、無理して買う必要もあるまい」といった気持ちありました。
しかし、そこで心に残って忘れられなかったのが、巻頭の「緒言」末尾の、以下の著者の言葉です。
「大東亜戦争勃発前後の異常なる雰囲気の中にあって、胸ときめかしつつ、落ち着かぬ思ひで執筆した本書であるため、色色と不備なところも少なくないと思ふが、悪しからず御叱正を乞ふ次第である。」
2011年3月11日の東日本大震災以来、日本が大きな「転機」に立たされていることは、多くの人が認めるところでしょう。特に、最近、しばしば日本の「外交的孤立」が取り沙汰される中にあって、かつての「戦争」の教訓から学ぶべきことが痛感されていることも、かなりの人々の共通認識かもしれません。先人の「苦難」を、決して、無駄にしてはならないと思います。
弊社も、そんな状況の「ただ中」からの出発でした。
…そんな中での、(戦前の店舗も残る)神保町での、本書との「出会い」です。
僅か3,000円ながら、満杯で、ほとんど「使用不能」なわが書庫の現状も考えつつ、「さて、どうしたものか?」と逡巡しながらも、つい、買ってしまいました。どうしようもないものですね、「古書マニア」は!(笑)
でも、やはり買って、本当に、良かったと思います。
上の写真のように、高価な「箔押」でラテン文字を印字した表紙は、あたかも、ルネッサンス期の人文主義者や芸術家が「範」とした、初代ローマ皇帝アウグストゥス「黄金時代」の、大理石の碑文を見るようです。
それを開くと、右の写真の扉。余白を贅沢に取った中に、表紙と同じラテン文字を、白地に朱で(あたかも、後期ローマの銘文や写本のように)印刷した「趣味の良さ」は、驚くばかり!
続いて「抑制の効いた」摩寿意先生の本文が、見事な「活版」で組まれ(それは「暴君」ネロ帝に使えた文人ペトロニウスの、滑稽と退廃の中に深い厭世観を湛えた『サトュリコン』冒頭にあるように、「抑制ある、高貴なスタイル」ともいえるかもしれません)、巻末の大型図版も、当時としては「技術の粋を尽くした」ものだったことでしょう。
中でも、ボッティチェルリの傑作を「アップ」した大型図版の数々は、ただただ、見事です。
左の図版は、その一例ですが、フィレンツェのウフィッツィ美術館にある、彼の最高傑作の一つ「春(ラ・プリマヴェーラ)」から、「三美神」の舞い踊る「手」と「足」。その美しさは、恐らく、現在に至るまで、「世界における美術書の」他の追随を許さないもの、なのかもしれません。
…「苦難の時代」を前にして、本書を執筆された摩寿意先生の「学問への情熱」と、その背後でほぼ「アノニム(無名)」に「仕事」をされた編集者やデザイナーの方々、そして版元、印刷所の各位に、遠い後輩の「同業者」として、心からの敬意を捧げたいと思います。
「仏教人文主義」をめざして(2014年1月4日)
あけましておめでとうございます。
今年の元日は、東京付近では幸いに、あの「虚空の如し」という言葉を思い起こさせるような、澄んだ青空のもとで迎えることができました。
日本も世界も、なかなか「青空」を期待しにくい昨今ですが、まずはこの青空を心に憶念しつつ、弊社も新しい年を精進して参りたいと思います。
これまでのご厚誼に感謝しつつ、皆さまのご多幸を念じております。
この度、2011年11月に刊行した『全訳 チャンドラキールティ 入中論』を重版させて頂くことになりました。もとより専門書ですので、初版も再版も一般書から見ればはるかに少ない数です。でも、こうした本が一年ほどで重版するというのは、やはり異例なことかもしれません。
これも本当に、皆さまのおかげです。そして、こうした本が売れるというのは、出版不況といわれる中にも、まだ期待が持てるというものかもしれませんね。
弊社の次の新刊も、諸般の事情で遅れ気味ですが、今年3月後半に3点、まとめて刊行する予定です。いずれもインド・チベット仏教の原典の翻訳・研究です。1月末〜2月初にはご案内できると思いますので、今しばらく、お待ち下さい。
さて、話は変わりますが、往年のフランスの碩学にシルヴァン・レヴィ(1863-1935)という方がいました(写真はWikipediaより)。インド文化全体の幅広い展望のもとに仏教研究を進め、特に『大乗荘厳経論』のサンスクリット原典の出版は有名です。戦前のフランス東洋学「黄金時代」を代表する学者の一人で、東京・日仏会館の初代フランス学長を務め、以前、このコーナーで言及した山口益先生もその薫陶を受けるなど、日本ともご縁の深い方です。
(少々余談になりますが、昨年末に早稲田大学で開催された密教図像学会で、大正大学の倉西憲一先生から『サマーヨーガ・タントラ』のサンスクリット原典が、近年、シルヴァン・レヴィ・コレクションから発見されたとお聞きしました。これはインド後期密教における母(ヨーギニー)タントラの出発点に位置し、また漢訳では不空『十八会指帰』の第九会とされる極めて重要な経典ですが、今まではチベット訳が知られるのみでした。インド密教研究において実に画期的な発見ですが、その写本が人知れずシルヴァン・レヴィ・コレクションに秘められていたというのも、彼の写本研究者としての偉大さを物語っているようです。)
そのシルヴァン・レヴィの著書に『仏教人文主義』(山田竜城先生訳、1928年初版、1973年再版)があります。インド以東のアジア文化の形成において、仏教がいかに根本的な貢献をしたかを論じた好著です。
ここで面白いのは「人文主義」という言葉を用いていること。これは、現代の日本人にはそれほど馴染み深い言葉ではないかもしれませんが、要は、英語でいう「ヒューマニズム」です。とはいえ、その本来的意味は、日本でこの英語から連想されがちな「人道主義」や「人間中心主義」というよりは、「ギリシァ・ローマの古典研究を踏まえつつ、人間としての理性的探求を行うこと」です。つまり、より普遍化した表現をすれば「先人の精神的遺産を踏まえつつ、人間としての理性的立場であらゆる物事を検討すること」ともいえるかもしれません。
そして、その「精神的遺産」とは、西洋でいえば、まずは「ギリシァ・ローマの古典」と、それと密接に関連しつつ受容された「キリスト教」です。「仏教人文主義」という言葉は、両者が西洋文化において果たした役割に匹敵する貢献を、仏教がアジア文化に対して行っている……ということを、西洋人の視点から述べたものなのでしょう。
人類の歴史では、実に様々な「思想」が生まれました。この「思想」とは、仏教でいえば「見(けん)」もしくは「見解」(サンスクリット語でいう「ダルシャナ」)ということになります。
それらの「思想」は、人類の幸福に一定の貢献をしてきたことは事実ですが、その一方で、大きな「足かせ」となって、深刻な対立や苦しみの原因となってきたことも事実です。
原始仏典の『梵網経』(パーリ仏典では「経」の筆頭に置かれます)や龍樹の『中論』に説かれるように、仏教の究極の目的は、それら一切の「思想」「見解」を離れて、全ての一時的な幸・不幸を超えた、本当の意味での安らぎを得ることにあります。つまり、勝義諦です。
ですが、それは仏教が、言葉による論理的・合理的探求を全て、捨て去ってしまうことではありません。いや、反対に、あらゆる「思想」「見解」の姿をありのままに認識した上で、その意義と限界を正しく把握し、それを超克することが求められている……というべきでしょう。まさしく、かの『梵網経』や『中論』がその端緒を開き、降っては各宗義に批判的考察を加えた中観派の諸論や弘法大師空海の『十住心論』などが、正しく、その姿勢を受け継いでいるように。すなわち、世俗諦です。
まずは、あらゆる「思想」「見解」が、ありのままに認識される必要があります。そのためには、それらが正確に提示されて、開かれた議論と考察の対象になる必要があります。それには、それらを記した文献が、きちんとした形で提示される必要があります。ここに「古典研究」すなわち「文献学」の意味があります。本来の意味での「人文主義=ヒューマニズム」とは、そのようなことです。
以上のように、仏教にはもともと、そういった「人文主義的」姿勢があります。その最大の成果が、全仏教聖典の集成を意図した大蔵経、特に、仏教史上に現れた広範な文献を包括した漢訳とチベット訳の大蔵経ということになるでしょう。
ささやかながら、弊社もその姿勢を受け継ぎ、わが国では未紹介のものも多いインド・チベット仏教文献を中心に、基礎的な翻訳・研究を世に問うて参りたいと存じます。
……さてさて、正月早々、少し硬くなったでしょうか?(笑)
気分を変えて、イタリア・ルネッサンスの先駆けとなった人文主義の詩人、ペトラルカのマリア讃歌に、やや遅れて、フランドルの大作曲家デュファイが曲を付けた「 Vergine Bella(美しき処女)」をご紹介しましょう。私が若い頃から好きな曲です。こちらは演奏風景付の別バージョン。
「太陽の輝きを装われた美しい処女マリアよ…」と始まる美しい歌詞は、インド・チベットで広く流布した『二十一尊ターラー礼讃経』にも、どこか似た雰囲気があるようです。
写真は、デュファイと同時代のフランドルの大画家ファン・アイク兄弟の傑作「ゲントの祭壇画」に描かれたマリア。
今年も、よろしくお願い申し上げます。