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編集室から

花を摘む女性たち
        花を摘む女性たち(2 - 3世紀、ガンダーラ)

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初冬の京都にて                           ─北村太道先生出版記念祝賀会─       (2016年12月6日)

早くも師走。今年も残すところ僅かとなりました。
お陰さまで、9月末の新刊2点も書店や取次からの追加注文が続いています。ここに改めて、お礼申し上げたいと思います。

そんな中の12月2日、京都で、北村太道先生の新刊『タントラ義入の研究』の出版記念祝賀会が開催され、私もお伺いしてきました。北村先生には、本書を始めとして、「『金剛頂経』系密教 原典研究叢刊」として計4冊の刊行にご尽力頂き、弊社も本当にお世話になっていますので、ここは何はともあれ、新幹線で初冬の京都へ駆けつけた訳です。

中京郵便局

当日、京都に着いたのは、昼過ぎ。夕方からの祝賀会にはまだかなりの時間があります。そこで、最近の私の趣味は「街歩き」なので、少し京都を散策してみました。幸いにすばらしい晴天でしたので、心地よく初冬の古都を楽しむことができました。
京都といえば、もちろん、まずは神社・仏閣。そして、古い和風の町屋が思い浮かびます。ただ、明治から昭和初期にかけての趣き深い洋風建築が随処に残っているのも見逃せません。写真は古くからの京都の中心、三条通りにある中京郵便局。明治35(1902)年建設当時の外観を残しています。明治の建物は、東京駅を始めとして東京にもいくつかありますが、拡幅以前の古風な狭い通りに、こうした堂々たる洋風建築が軒を連ねる姿(写真では通りの奥に小さく、同じく明治の旧京都日銀が写っています)は、京都ならではの風景でしょう。

オリッシー

さて、祝賀会は、まず東インド・オリッサ地方に伝わる伝統舞踊オリッシー(写真)から始まりました。踊り手は、ショーバ先生。北村先生と共に、密教に取り入れられたインドの神々(天部)の研究をされている方ですが、子供の頃からインド舞踊を習ってこられたそうです。流暢な日本語で話された解説では、これはオリッサの寺院に使える女性たちの間に伝えられた舞踊で、北村先生のお祝いのために捧げる…とのことでした。
その艶やかな姿は、さながら、今回の本のカラー口絵と扉に掲載した、金剛界マンダラの供養女のようです(今年8月24日の記事の写真参照)。オリッサは古く密教が栄えた土地。また、ヒンドゥー教の立派な寺院でも知られます。そんな宗教色豊かな環境で育まれた美しい舞は、北村先生への、何よりもの「お祝いの捧げもの」になったことでしょう。

北村太道先生

続いて、本書の出版に助成を頂いた真言宗善通寺派管長の樫原禅澄猊下を始めとして、種智院大学学長・真言宗中山寺派管長の村主康瑞猊下、大谷大学名誉教授のツルティム・ケサン先生などが挨拶され、さらに、タントラ仏教研究会の中島小乃美先生(弊社から『一切悪趣清浄儀軌の研究』を刊行)が本書出版の意義を説明されて、最後に、北村先生がお礼を述べられました(写真)。

北村先生からお聞きしたところでは、先生は高校まではまるで勉強しないスポーツ少年で、学問に思い立ったのは大学に入ってからだそうです。しかし、そんな少年時代に育まれた体力とおおらかな心が、長きにわたって研究を続けられ、また、このように、多くの協力者も現れるようになった「原動力」なのではないか…と感じられてなりません。
また、北村先生は、若い時、大谷大学の山口益先生や龍谷大学の月輪賢隆先生といった「京都仏教学の黄金時代」の先生方から、中観や唯識といった仏教の基礎を叩きこまれたそうです。そして、種智院大学の壁瀬灌雄先生によって、チベット文献を用いた密教研究に開眼され、今日に至ったとのこと。
ひたむきな「努力」と、多くの人々との「ご縁」によって育まれた北村先生の「学問の姿」そのものが、密教、そして大乗仏教の根本である「般若・方便双運」の一つの具現なのかもしれません。

ドルジェセンパラ・チャクツェルロ(北村先生自筆)

祝賀会が終わってから、私が持参した『タントラ義入の研究』に北村先生のサインをお願いしたところ、その始めにチベット語で「ドルジェセンパラ・チャクツェルロ(金剛薩埵に礼拝する)」と記して下さりました(写真)。般若を象徴する金剛鈴と、方便を象徴する金剛杵を持つ金剛薩埵こそは、密教を生きようとする者の「理想像」です。この一言に、先生の生涯と学問、そして密教の「全て」が凝縮されているように感じたことでした。

賢者と成就者の饗宴                         ─『般若心経註釈集成〈インド・チベット編〉』によせて─                             (2016年10月5日)

般若心経註釈集成〈インド・チベット編〉

 早くも10月、すっかり秋らしくなりました。
 9月末の新刊は、先週納品したばかりですが、早くも取次や書店からの追加注文が入り始めて、まずまずのすべり出しのようです。新刊刊行前後の忙しさで、このコーナーの更新も少し遅れてしまいましたが、前回の記事の終わりで予告したように、今回はもう1点の新刊、渡辺章悟・高橋尚夫両先生の編になる『般若心経註釈集成〈インド・チベット編〉』について書いてみたいと思います。

さて、『般若心経』が大乗仏教が流布した地域で広く唱えられ、わが国でも、最もポピュラーな経典の一つであることは、周知の通りです。しかし、その知名度の割には、それが仏教の歴史の中で、どのように理解されてきたのかについては、空海や白隠など、日本仏教の一部の祖師による註釈を除くと、あまり紹介されることがありませんでした。
そうした状況の中で、本書は『般若心経』が生まれたインドと、その伝統を忠実に継承したチベットにおける註釈を、わが国で初めて全訳・解説して集成し、インド直系の『般若心経』解釈の全貌を提示しようとするものです。
収録された註釈は、チベット大蔵経収録の全8本と、それ以外のチベットを代表する註釈3本。以下、ご参考までに、それぞれの註釈の特色を簡単にご紹介してみましょう。

まず、最初に収録されたカマラシーラ註の著者は、チベットへの仏教導入に大きく貢献した有名なインドの学匠によるもの。インド・チベットの『般若心経』解釈では、『現観荘厳論』に従って、経文に菩薩の修道階梯としての「五道」を読み取ることが一つの大きな伝統となっていますが、この註釈はその現存最古のものです。
こうした『般若心経』理解は、日本ではあまり馴染みがないと思います。しかし、広く親しまれている漢訳(玄奘訳)『般若心経』の初めにも「行深般若波羅蜜多時」とあるように、本経の根底には「般若波羅蜜多の行」という実践があります。従って、こうした「行」のあり方を、インド・チベットで『般若経』解釈の基本となった『現観荘厳論』を『般若心経』にも適用して読み取ろうとすることは、必然の流れであったともいえるでしょう。

次に、ヴィマラミトラ註は、やはりチベットへの仏教導入期に活躍したインドの学匠が著したもので、多くの経論を引用した本格的な論書のスタイルで書かれています。詳しく、論旨も明快で、後世のチベットでも重視された註釈ですが、『現観荘厳論』の引用はあるものの、カマラシーラ註のような経文への「五道」の適用はなく、経文の直接的意味を忠実に解釈しています。また、随処に『大日経』が引用されることも興味深い点です。これは、同時代のブッダグヒヤが『大日経』の註釈書を書いているのと、同じ教学的背景があるのでしょう。
そして、順序は少し先に飛びますが、アティシャ註は、以上のヴィマラミトラ註に基づきつつ、そこに、カマラシーラ註と共通する「五道」の階梯を付加したもの。そこには、チベットの古くからの伝統に、『般若経』や『現観荘厳論』にも精通したアティシャの持ち味も加えた、『菩提道灯論』(弊社から全訳を刊行)にも通じる「広い視野」を見ることができるようです。
また、ゴク・ロデンシェーラプ註は、アティシャのチベット人の弟子の著作で、やはりヴィマラミトラ註を再註釈したものです。ゴクが基礎を築いたサンプ寺の教学は、後世のチベット仏教の顕教教学に大きな影響を与えましたが、そうした著者によるものとして、チベットにおける『般若心経』註釈史上でも注目すべき存在です。

一方、シュリーシンハ・ヴァイローチャナ註もチベット仏教導入期の著作ですが、『般若心経』末尾の真言の語釈を行い、また、経文の随処を「外・内・秘密」の三重に解釈することが特色です。
後者の一例を示すと、『般若心経』が説かれた場所である「霊鷲山」については、外にはマガダ国東方の山、内にはアカニシュタ天、秘密には内証たる菩提心としています(p.129)。これは、『初会金剛頂経』における化身の釈尊、受用身の毘盧遮那(アカニシュタ天で成仏)、法身の大毘盧遮那(大菩提心普賢大菩薩)を思わせるものです。先に触れたブッダグヒヤは、『初会金剛頂経』の達意釈『タントラ義入』(今回のもう1点の新刊に全訳を収録)も著していますが、この註釈も同時代のものなので、やはり共通の教学的背景があるのでしょう。
先のヴィマラミトラ註と共に、チベットへの仏教導入期の『般若心経』註釈に、『大日経』や『初会金剛頂経』と共通する要素が見られることは、日本密教との関連でも注目されます。

ジュニャーナミトラ註、プラシャーストラセーナ註は、『般若心経』の経文の分け方など、よく似た特徴を持っています。前者はチベットへの仏教導入期には知られていたものですが、後者はそれをもとにより詳説したものかもしれません。
いずれも経文に忠実な註釈ですが、共に「色即是空」の解釈には唯識の三性説との類似が指摘され、また、プラシャーストラセーナ註には特色ある二諦説が見られます。前者は「弥勒請問章」が付加された発展した段階の『般若経』を踏まえたものでしょうし、後者は、バーヴィヴェーカなどの、いわゆる「中観自立派」における「異門勝義」を認める二諦説に近いものと見ることもできます。全体として、11世紀頃、チベットにチャンドラキールティの「帰謬派」が導入される以前の、古い時期の中観の様相が感じられるようです。ジュニャーナミトラ註における「心の本質自身を見るそれが、菩提を見ることである」(p.160)という記述が、『大日経』住心品の「如実知自心」を思わせることにも注目すべきでしょう。

シュリーマハージャナ註は、「弥勒の五論」の一つとして知られる『法法性分別論』をチベット訳したインドの学匠による、唯識系の註釈です。冒頭の『般若経』の説示・結集や註釈者についての史伝的記述は興味深く(pp.235-237)、「色即是空」以下の空性の説示については、精緻な議論が見られます(p.249以下)。インド後期大乗の学術的な註釈として、充実した内容を持つものです。

ヴァジュラパーニ註は、インド後期密教(無上瑜伽)の成就者として名高い人物によるものです。著者については、昨年、弊社から刊行した『ガナチャクラと金剛乗』p.262以下でも詳しく考察されていますが、インドのマイトリーパの弟子ですから、カギュ派のマルパとは「同門」ということになります。
その「無想念の法」「三解脱門」を重視する内容は、インド・チベットの諸註の中でも異彩を放っており、恐らく、著者自身は無上瑜伽・究竟次第において空性を証悟する「光明」の境地なども念頭に置きながら、説示しているのではないかと思います。従って、明言されてはいませんが、実質的に「マハームドラーの立場からの註釈」ともいえるのかもしれません。インドの註釈らしく、基本的には厳密な論理によって説明していますが、随処に見られる印象的な譬喩には、成就者としての「体験」が滲み出ているようです。インドの成就者たちからは、ドーハやチャルヤーギーティーなどの神秘的な宗教詩の伝統も生まれ、それを受け継いだのがチベットのミラレーパです。
個人的には、この註釈は、本書収録の諸註でも最も親しみを覚えるものでした。

ロントゥン・シェチャクンリク註は、ツォンカパと同時代のサキャ派の学匠によるもの。「色即是空」の説明には、日本仏教でも親しまれている「水と月(水月)」の美しい喩え(p.334以下)が用いられています。

最後のターラナータ註は、有名な『インド仏教史』の著者によるものです。そこに見られるチョナン派の「他空説」については色々と議論もありますが、複雑な議論を簡明に表現する文面からは、確かに、著者の優れた知性が感じられます。
また、経文最後の真言を、本質的には「仏陀の御心にある、法身そのもの」(p.371)とするのは実に深い解釈で、どこか、空海の『般若心経秘鍵』を思わせる雰囲気もあるようです。チョナン派は、もともと『カーラチャクラ・タントラ』の解釈から始まったものですから、「密教的なセンス」には鋭いものがあるのかもしれません。

ティーローパとナーローパの洞窟

以上、本書に収録した註釈の著者たちは、まさに、インド・チベット仏教における教理に精通した「賢者」たちであり、また、修行によりそれを体験した「成就者」たちです。
本書はさながら、『般若心経』をめぐって、彼らがそれぞれの見解を述べる、華やかな「饗宴(シュンポシオン)」ともいえるでしょうか。

また、彼らの多くが、インドからチベットへの仏教導入に重要な貢献をした人物であることも注目すべきでしょう。上の写真は、ネパール・カトマンズにあるティローパとナーローパの師弟が修行したと伝えられる2つの洞窟。ヒンドゥー教のシヴァの聖地として名高いパシュパティナート寺院の境内、火葬場の奥の谷間にあります。彼らが実践した無上瑜伽の母タントラの聖地の多くはシヴァの聖地と重なり、また墓場を修行の場所として尊びますが、これもその一例かもしれません。
先のヴァジュラパーニ註も、カトマンズ近くのパタンで、そこにいたチベット人仏教徒たちに説かれたものですが、著者自身もティローパやナーローパに近い法脈に属しています。この写真から、そんなインドからチベットへの仏教伝播の歴史と、本書の諸註を重ね合わてイメージして頂ければ幸いです。

『初会金剛頂経』の「精神」に迫る                  ─『タントラ義入の研究』によせて─      (2016年8月24日)

台風も過ぎた昨日の夕方は、青空に細い雲がたなびき、早くも秋の風情を漂わせていました。「池冷やかにして水に三伏の夏なし。松高うして風に一声の秋あり」(『和漢朗詠集』夏・納涼)…季節の過ぎゆくのも、時代の移り変わりも早いものです。
このコーナーも、多忙にまぎれてすっかり更新が遅れてしまいましたが、ようやく、次回の新刊をご案内できるようになりました。サイトのトップページにあるように、9月末に2点、同時刊行します。
その内から、今回はまず、北村太道先生の『初会金剛頂経概論 『タントラ義入』の研究』をご紹介したいと思います。これは、著者の半世紀にわたる研究を集成した大著です。

タントラ義入の研究

いうまでもなく、『初会金剛頂経』は日本では『大日経』と共に「両部の大経」として重視される密教経典ですが、インド・チベットでは「瑜伽タントラ」の根本聖典として知られています。そのインドにおける註釈者としては、「義に巧みなブッダグヒヤ、言葉に巧みなシャーキャミトラ、義と言葉に巧みなアーナンダガルバ」といわれる三大家が知られていますが、本書は、そのブッダグヒヤによる註釈『タントラ義入』の徹底解明を目指したものです。

『タントラ義入』は、註釈書といっても「達意釈」ともいわれるように、『初会金剛頂経』の厖大な本文(漢訳では宋の施護訳が全訳ですが、三十巻に及びます)を逐語的に解釈したものではなく、はじめに本経の所説を概観した上で、本経の内容を「観想」「念誦」「護摩」を中心とする成就法次第として再構成し(目次をご参照下さい)、その実践的意味に留意しながら解説を加えたものです。それだけに、「『初会金剛頂経』が目指すもの」が端的に打ち出されていますが、著者ブッダグヒヤが「義に巧み」と評される所以でしょう(義:arthaには「意味」のほかに「目的」「利益」などの意味があります)。
ただし、『タントラ義入』は、『初会金剛頂経』のエッセンスを偈で要約した「教理分」をはじめとして、『金剛頂大秘密瑜伽タントラ』『降三世大儀軌王』『理趣広経』(前の二つは弊社から全訳を刊行しています)などの瑜伽タントラの関連聖典、さらには行タントラの『大日経』などからの多数の引用があり、しかも、それらに対するブッダグヒヤの解説はやや簡潔ですので、それだけで真意を理解するのは必ずしも容易ではありません。それを補うのがパドマヴァジュラの復註で、密教はもとより、場合によっては顕教との関係や、呼吸法などの禅定の具体的な心得も含めて、理論・実践の両面で実に詳細な解説を加えています。『中論』の理解に権威ある諸註釈が不可欠なように、『タントラ義入』の理解にもパドマヴァジュラの復註が不可欠である、といえるのかもしれません。
今回の北村先生の大著は、わが国ではじめて、『タントラ義入』をパドマヴァジュラの復註と併せて全訳・対照し、さらに、引用文献の詳細な註記を加えたものとして、『タントラ義入』、ひいては『初会金剛頂経』の本格的理解のためには必携の一冊といえます。

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なお、本書のもう一つの特色は、以上のような「資料的価値」だけでなく、全体に通底する深い「宗教的精神」です。すなわち、『初会金剛頂経』では、密教の菩薩(その代表が金剛薩埵です)の衆生済度のための大悲にもとづく菩提心を、しばしば「愛欲」「貪染」などの言葉で表現し、行者はそれを決して離れてはいけない…と強調します(本書pp.161-171など)。これは、大乗菩薩道の密教的展開であると同時に、さらには、無上瑜伽タントラの「大楽」にも繋がるものでしょう。
『タントラ義入』でも随処にそれが強調されますが、特に、その心髄を示す行法とされるのが「四種秘密供養」で(本書pp.441-445など)、日本でいう「四智梵語」の偈に表現された「菩提心の展開」を、金剛界マンダラの「内の四供養女」の境地として捉えたものです。以上を踏まえて、本書の巻末論文でも、『初会金剛頂経』をはじめとする瑜伽タントラにおける「秘密成就法」「愛」などのテーマを詳細に検討しています。
以上は密教独特の表現を用いているとはいえ、意味するところは結局、大乗仏教の根本である「大悲」「菩提心」にほかなりません。日本でも名高い『理趣経』「百字の偈」は、瑜伽タントラ(『金剛頂経』系密教)の心髄ともいえますが、そこにある通り、それらは「密教の菩薩の無住処涅槃」そのものを指す言葉です。
北村先生の半世紀に及ぶ研究の中で、瑜伽タントラの「言葉」の大海から、そのエッセンスとなる「義(精神)」を見抜かれた炯眼には、ただ感嘆するばかりです。
上の写真は、本書の口絵から金剛灯女。スピティ伝来の古書体によるチベット訳『般若経』写本の挿絵に描かれた金剛界諸尊の一尊で、カシュミールの画風を示す11〜12世紀頃の作品です。「内」ではなく「外」の四供養女の一尊ですが、インド直系のその妖艶な姿は、以上の「秘密供養」の精神を彷彿とさせるものです。

それでは、次回はもう1点の新刊、『般若心経註釈集成〈インド・チベット編〉』をご紹介することにしましょう。

年の瀬に、静寂の港で思う ─「古典」ということ─                                 (2016年1月1日)

今年も、冬の関東の抜けるような青空のもと、新しい年を迎えることができました。あけましておめでとうございます。
弊社も間もなく設立して満5年となります。ゆっくりとした歩みですが、だんだんと出版と経営のペースも見えてきました。これもひとえに皆さまのご理解とお力添えのおかげです。国内外に厳しい時代で、特に、わが国における人文科学の置かれた状況は決して楽観視できるものではありません。ただ、時の風雪に耐えた「古典」は、そういった時代にこそ、より輝きを増すとも言えそうです。弊社も、今後とも、インド・チベット仏教を中心とする、そうした「古典」の翻訳・研究をご紹介すべく、微力ながら精進を続けて参りたいと存じます。今後とも、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

三崎港

さて、現在、弊社では、2点の新刊の編集に追われています。その中の一冊は1000頁を越える大冊になる見込みで、なかなか大変です。こうした多忙な状況で、しばらく遠出することもできませんでしたが、昨年の大晦日には、一年の区切りを付ける意味で一息入れ、三浦半島の突端にある三崎港(神奈川県三浦市)まで散策の足を延ばしました。正月の華やいだ雰囲気も良いのですが、それを前にして静まりかえった大晦日の日中の雰囲気に、昔から、より惹かれるところがあるからです。

三崎港のカモメ

三崎港といえば、「三崎鮪」で知られる漁港ですが、京急の特快に乗れば都心から1時間余りで着いてしまいます。しかし、そこは東京とは別世界。豊かな岸辺には多くの漁船が係留されています(上の写真)。また、港を見下ろす高台は、戦国の風雲をくぐり抜けた三崎城の址。港の街灯の上にはカモメもとまり(左の写真)、また、岸辺や路地には猫もたくさんいました。

三崎の街並

何よりも、驚くのは、昭和30年代を思わせるような昔懐かしい街並が、ほぼ、完全な形で残されていること(右の写真)。まるで、映画化された「三丁目の夕日」のセットのようです。古い街並を求めて東京の下町を好んで歩く私ですが、美しい海辺に、ここまで完全な形で残されている姿を見ると、まるで「夢」か「幻」でも見ているような不思議な気分になりました。
東京だったら、再開発でたちまち消え去ってしまうのかもしれませんが、そこから少し「距離」のある漁港だからこそ、ここまで「完全に」残されたのでしょう。これは本当にすばらしく、文化財的な価値も高いと思います。
たぶん、夏などのシーズンには、多くの観光客や海水浴客で賑わうのでしょうが、大晦日には道行く人も少なく、鮪料理の店や市場は開いていたものの、街はひっそりと静まり、ただ一瞬の夕日に、美しく燦めいていました(下の写真)。

三崎港の夕日

漁業で栄えた三崎ですが、現在は人口も減少しつつあるそうです。ただ、その中でも、こうした三崎の街並を観光資源として活用し、また映画のロケ地として招聘する動きもあるとのこと。ぜひ、それを継続して、「昭和遺産」として、末永く残して頂くことを願ってやみません。こうした街並も、一つの「古典」です。きっと、未来の世代の「心を豊かにする」ものとなっていくことと思います。

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